昭和51年(1976年)埼玉県鳩ヶ谷市(現 川口市)に生まれる。
両親と祖母の愛情を一身に背負った幼少期時代をおくる。父は鳩ヶ谷町出身、母は秩父市出身。祖父髙木郁一は鳩ヶ谷町議会議員として1940年(昭和15年)に鳩ヶ谷町と川口市の合併を成し遂げた政治家であった。
小学生時代の夢は医師になること。祖父・伯父・大叔父らが薬剤師であったため医学書に囲まれて育った影響か。奇しくも、後年、東京大学薬学部卒業でもある医師の女性と結婚するとは運命の不思議。
小学6年生では応援団長を務めるなどクラスのムードメーカーに。
卒業式の演劇にも取り組む。何と役は東大生。
私立本郷高等学校卒業
在学中は生徒会活動と文化祭実行委員会に汗を流す。特に生徒会活動では部活動を応援するため運動部に積極的に予算を投下する。そのお陰か?、ラグビー部は全国ベスト8になる。
筑波大学第三学群国際総合学類国際関係学専攻卒業
汚い寮生活での初めて一人暮らし。良き学友たちと一生懸命勉強し、一生懸命遊びまさに青春を謳歌する。その親友たちと、学園祭では飲食模擬店を行う。その収益を震災支援へ寄付。パキスタン大地震寄付で駐日パキスタン大使から感謝状、中越地震寄付で新潟県知事から感謝状を戴く。
筑波大学大学院一貫制博士課程人文社会科学研究科国際政治経済学専攻修了
大学院時代は研究活動に没頭する。原子力政策を中心とした環境教育についての研究論文で「昭和池田賞優秀賞」。ポスト京都議定書に向けた研究論文で「佐藤栄作賞」。海洋基本法計画・海洋基本計画に関する研究論文で「防衛大臣表彰」を受賞する。なお、海洋基本計画については、後年、外務官僚として、第三期海洋基本計画の策定に自らが関わることになったのは運命を感じている。
それらの成果から筑波大学史上初めて文系学生として在学中に「筑波大学学長表彰」を戴く。博士研究の「佐藤栄作と沖縄返還交渉」で博士(国際政治経済学)を授与される。
また、2011年3月11日に発生した東日本大震災では原発事故で支援物資が枯渇してしまった南相馬市原町区に食料など支援物資を満載して自家用車で運ぶ。その際に、津波被害の凄まじさを目の当たりにする。筑波大学大学院博士課程で地震の研究をしている親友も同行し、お互い 防災の重要性を胸に刻む。
慶應義塾大学大学院経営管理研究科経営管理専攻修士課程修了
私は政治家として『国民の生活を豊かにすること、国を豊かにすること』を信念で活動している。そのためにも、国や企業を富ませる最先端の経営学の研究するためにMBAの最高峰である慶應義塾大学大学院経営管理研究科に入学した。
日本の第一線の大手企業のビジネスマン・老舗企業のオーナーやスタートアップ企業の経営者など多士済々の学友と研鑽を積む。ただ、新型コロナウイルスのため1年目はフルオンライン、2年目はハイブリット形式の講義であった。自らがそうした教育環境に置いたことで、「埼玉県立学校におけるオンライン授業の充実、動画配信の充実」を政策提案し県教育に貢献も出来た。また、医療政策を学ぶべく医学の講義も履修し、医療経営ゼミも修了する。
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程入学
私は国民の生活の向上と国の発展の根幹は都市の発展だと考えている。都市が発展すれば経済活動が活発化し国がさらに発展する。そして、人々が健康で快適に過ごすことができ、生活の質も向上する。また、都市防災は人の命に直結するものであり、地震や洪水や火山降灰などの自然災害に対する備えも、都市防災が重要な学問である。私はそうした専門的な知識と研究をしたく、東京大学工学系研究科都市工学専攻都市持続再生コースに入学した。
同コースは都市工学専攻、社会基盤学専攻、建築学専攻の三専攻が協力して設立された分野横断型の画期的な教育プログラムである。わが国の最高峰の叡智が集う環境で日本の都市の安全と発展と深化を目指して多角的に専門的に研究している。